愛犬との別れ
つらかったことについて
中学生の頃、小学2年生の頃から一緒だった愛犬を亡くしました。彼は大きな黒目を持った白いチワワで、名前はしろです。自分でゲージの鍵を開けたりできるほど賢かったです。餌を与えるのが私の役目で、たまに散歩にも連れて行きました。
しかし学年が上がるに連れて徐々に億劫になり、しろに対する態度はそっけなくなってしまいました。私は気分のいい時だけソファに丸まっているしろを撫でたり一緒に遊んだりしました。散歩は基本的に両親がするようになり、もちろん二人には懐いていました。しろから私に対しての愛情も大きなものではなかったと感じています。
中学2年生の頃にしろの喉元に大きな腫瘍ができていることに気づきましたが、その時にはもうなす術がなく、少しずつ弱っていく彼を見守ることしかできませんでした。彼の大きな黒目は白く濁っていき、動き回ることもなくなり常に丸くなって寝ていました。今までの硬いドッグフードは食べられなくなりふやかしたものや液体状のものを与えていました。目はおぼろげで口も少し開いていてしんどそうでした。
そうして数ヶ月後、2月15日に亡くなりました。家族は最後の瞬間しろを私に抱かせてくれましたが、しろは母が大好きだったので母の腕の中で亡くなりたかったと思います。火葬の業者さんが家に来るまで、発泡スチロールいっぱいに保冷剤や氷を詰めてしろを囲いました。しろのふわふわだった毛は少し濡れていて、体はひたすら冷たく、硬かったです。しろを引き渡すときにはしろが好きだった牛皮やテディベア、靴下を一緒に入れて火葬してもらいました。
彼の匂いはもうどこにも残っていません。
どのようにして乗り越えようとしたか
立ち直りは驚くほど早かったです。特に何かすることもなく、命日から5日後にはいつもの生活に戻っていました。自分の愛情の浅さを実感しました。
現在どのように過ごしているか
今はただ後悔と申し訳なさでいっぱいです。私の後悔は彼を十分に愛さなかったことです。しろの一生をとんでもなく寂しいものにしてしまった。もっとたくさん構ってあげられたのに放っておいてしまった。だからしろには謝りたい気持ちがたくさんあります。しろを自分勝手に扱ったことを恥じています。
年に数回ほど、しろが夢にでてきます。夢の中では「どうしてしろがもういないと思ってたんだろう」と思い、一緒に遊びます。けれど夢が覚めて事実を思い出した時に虚しさに襲われます。改善したことがあるかは分かりませんが、自分が彼にしたことを理解し、しろを思い出すことがせめてもの罪滅ぼしです。
この経験から学んだこと
私が言えることではないですが、ペットにはたくさん時間をかけてあげてほしいです。世話が面倒になることがあっても毎日ちゃんと向き合ってください。
私は犬を見るたびにできなかったことを思い出してどうしようもない後悔に襲われます。絶対にそうならないよう、ペットの人生を華やかにしてほしいです。
過去の自分へ
スマホばかり見てないですぐ横にいるしろを可愛がってください。毎日留守番をして寂しい思いをさせているから、せめて一緒にいる時間は退屈にさせないでほしいです。